ササヤキ彷徨の神殿

Taste
2003.11.08-2005.07.20
タモリ「うどんにコシなんていらないだろう」

コシなんて味に関係ない、コシのない方がうまい、というわけです。

まあ、コシのあるうどんが好きかどうかは人それぞれの好みですが(僕はコシがある方が好き)、コシは味に関係ない、ということはありません。

なぜか。

それは、というものが、味覚だけで感じるものではなく、五感全て、さらには過去の記憶まで使って感じるものだからです。

決して、で感じるものだけが味なのではなく、におい食感、目で見える食べ物そのものの見た目・周りの景色、耳で聞こえる調理の音・環境の音食べて幸せだった記憶・悲しかった記憶・苦痛だった記憶、そういったもの全てが合わさって、「」となります。

だから、「一人暮らしの食事は味気ない」とか、「青空の下で食べるとおいしい」とか、「鯖は、前にあたったことがあるから食べられない」といったことになるわけです。

ではなぜ、人間はそこまでして、味を感じているのでしょうか。

それは、「食べる」という行為が、生物にとって最も根源的な行為だからです。

どんなに原始的な生物だって、何らかの形で外から栄養を摂らなければ、生きていけません。「食べる」という機能は、そんな太古の昔から生物に備わっている機能であるため、人間は、あらゆる感覚を使って、「」を感じているのです。

追記(2005.07.20)

で結局、「味」の最大の要素は何かと考えると、やはり「記憶」でしょうね。

「おいしさとは即ち幸せな記憶である」と言い切っちゃってもいいような気がします。

だから、好き嫌いを無くそうと無理矢理食べさせるのは、逆効果です。無理矢理食べさせられた、という嫌な記憶が一生残ってしまうからです。

いろんなものをおいしく食べられる人は、それだけ幸せな記憶の引き出しが多いのだろうな、なんて思う、何もおいしくない今日この頃。

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