ササヤキ彷徨の神殿

I don't use 絵文字の類

I do Not Use like Pictorial Symbols
2004.10.25
僕は基本的に、絵文字・顔文字の類は使いません。

その理由を、つらつらと書いてみたいと思います。

昔から — 何千年も前から — 、大人達は、若者の言葉の乱れを嘆いてきました。

まあ、大人達の嘆きはどうでもいいのですが(その嘆きが全て正しいとしたら、現在使われている言葉は、乱れ切ったどうしようもない言葉、ということになってしまいます)、いつの時代も、若者の間には変わったものが流行ります。

…いや、若者に限りませんね。

大人達だって、妙な業界用語やらサラリーマン用語やら何が言いたいのか分からないお役所言葉やら、駅員や車掌の妙な声色のアナウンスやら、と、いろいろと(客観的に見れば)変な言葉を使っています。

なぜこういった変な言葉が使われるのでしょうか?

使っている本人達に自覚はないのかもしれませんが…

その原因として、「帰属意識」を挙げてみたいと思います。

いわゆる「若者」にいろいろな言葉が流行るのは、「同じ言葉を使う」ことによって、「同じ文化に属しているという感覚を味わいたいためです。

大人達の言葉も同じ。会社や業界への帰属意識です。

…それに対して僕は、帰属意識を持つことを嫌う、あるいはあまり持つことができないようです。

もちろん、まったく帰属意識がないわけではないのですが、一般の人に比べればずっとその意識は少ないようです。

今も昔も、小学生の間にはいろんなものが流行ります。

僕が小学生の頃もいろいろ流行りましたが、僕はそれを、100%までは行かないにしても、7割ぐらいは冷めた目で見てました。

Jリーグ1年目、随分と世間は大騒ぎしていましたが、僕は敢えてそれを静観していました。興味を持ったのは2年目からです。

人が騒いでいるからといきなり飛びつくのではなく、まずそれが本当に価値あるものかどうかを見極めて、それから関心を持つ — そういうスタイルで行きたいと思います。

それで、絵文字の類も、それを使うことが特定の文化への帰属になる気がして、使う気になれないでいます。

あと、僕の評価基準として、「100年後も価値あるもの・魅力あるものであり続けるか」というのもありましてね。それに照らしても、使う気が起こりません。…100年後に、少なくともそのままでは通じないかでしょうからね。

ただ、この「帰属意識」という代物、全く無意味というわけではありません。

人間には「社会性」があります。

「社会性」とは、集団を作ろうとすること。

集団を集団として維持するためには、個人個人がその集団に属していることを示す「合言葉」のようなものが必要です。

合言葉を唱え、互いが同じ集団に属していることを確認できると安心する — これは本能です。

オオカミの群れが匂いで仲間を識別するようなものです。

この本能に従って円滑なコミュニケーションを実現するための潤滑油となるのが、若者や大人達(つまり人間一般)の、特定の範囲内だけで通じる妙な言葉のやり取りと言えます。

僕は昔から、この辺の感覚が多少欠けているので、あまり集団に属したり、他人と打ち解けたりできません。

だからこそこうやって客観視できる、とも言えますけどね。

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