ネットコミュニケーション — 依存症
依存症の定義は…あまり「これ」という定義が見つからないのですが…とりあえず、「やめたくてもやめられない」というのが依存症のようです。
厳密な定義は難しい気がするので、その辺は曖昧さを残しつつ、話を進めます。
ネット依存、という言葉があります。ネットに入り浸って、離れられなくなる状態。
新聞の、インタビュー記事だったか、投稿記事だったかに、次のような意味のことが書かれていたように思います(記憶違いがあるかもしれません)。
「ネットでのコミュニケーションに濃密な関係を感じ、満たされて、ネット依存になってしまう」
でも、この視点は少し違うと、僕は思っています。
依存する、ということは、求め続けるということ。
なぜ求め続けるのか? — 足りないから求め続ける。
何が足りないのか?
人間は、人と面と向かって話す時、無意識のうちに膨大な量の情報を受け取っています。単に見えているもの、聞こえているものだけではなく、微妙な表情や声色、さらには相手の内面まで、膨大な量の情報を得て、それが脳に刺激を与えています。
でも、コンピュータの表示する文字によって交わされる情報量というのは、面と向かって交わされる情報量に比べて、ずっと少ないものです。言語というフィルターを通した — つまり、言葉で言い表せないものは削ぎ落とされてしまった — ごく限られた情報しかやり取りされません。
たとえ、その他のいろんな情報を添えて補ってみたとしても、面と向かってのコミュニケーションと比べれば、その情報量は微々たるものです。
そして、情報量が足りないからこそ、さらなる情報を得ようと求め続けて、離れられなくなってしまうのです。本当に満たされているのなら、依存にまでは至らず、自立・自律していられるはずです。
さらに、そこには多くの情報があると錯覚させてしまうのも、ネットの厄介なところです。ケータイに登録してあるだけで友達と思ったりとか、少し優しい言葉をかけられただけで、いい人であると思い込んだりとか…。
足りない情報を想像力で補って、妄想ばかりが広がってしまいます。
結局、ネット依存とは、例えるなら、カロリーの極めて低い食事を摂り続けるようなもの。おいしい気がして食べてみる。ちっとも満腹にならない。でもおいしそうに見えるから、本当は全然満たされていないのに、満たされるような錯覚を感じて、延々と食べ続けてしまう。
お腹を空かせたまま、延々と食べ続けてしまう。
残念ながら人間は、霞を食べて生きていけるようにできてはいません。