経済システムの消える日
豊かになったと、多くの人は言います。
ですが、何を基準にするかにもよりますが、昔と今とで、少なくとも額面ほど豊かになったということはないでしょう。
豊かになった、と言われるのは、技術の発展により、高度なものがより簡単に、つまり低コストで作れるようになったから、というのが大きいと思われます。
欲しい。でも、限られた人しか手に入れられない。誰が手に入れる?より多くのお金を出せる人が手に入れる。
そういう、一種のゲーム(*1)です。
もし、誰でも手に入れられるのなら、経済システムは成立しません。欲しい人全員に配って、それでおしまいだからです。(*2)
なので、経済学者は少なからず、全ての人が豊かになることを望みはしません。
モノが安くなるということは、生産力の向上で、誰でも手に入れられるようになりつつあるということを意味します。
経済システムが形骸化している、という言い方もできるでしょうか。多くの人間が共存するための手段に過ぎない経済システムを、限りある資源を余分に消費してでも維持しようとするのは、本末転倒と言えます。
物価が下がるべくして下がっているのなら、無理に上げようとするのではなく、それを前提にした社会モデルを作り上げる必要がある、ということです。
…ま、国や地方自治体が借金漬けでは、なかなか新しいモデルなんて作れないのですけどね。
豊作貧乏とは、豊作で農産物が余り、値段が安くなりすぎて出荷しても赤字になってしまうような状況のことです。
農業において、上で書いた「経済システムが成り立たなくなった状態」です。
本来なら、単純に考えれば、豊作でたくさん収穫できれば、その分世の中は豊かになるはずです。そうならないのは、「余る」という状態が、経済システムにとって想定外の状態だからです。
で、手段であるはずの「システム」を維持するために、わざわざ作物を廃棄する、という本末転倒の事態になってしまいます。
そうなれば、あるレベルにおいては、経済システムは消えていきます(生活必需品等。開発コストはかかっても生産コストのかからないソフトウェアにおいては、既にそういう状況が多く見られます)。
そして経済システムは、現在のような、それが多くの人の命を奪おうとするようなものから、贅沢品を手に入れるためのもっと軽いものへと、変わっていくでしょう。
- ゲームと言っても、遊びという意味ではなく、ここでは「選択肢の中から選び取るもの」と定義します。
例えば、買い物に行き、AとBという商品を見て、1)Aを買う 2)Bを買う 3)両方買う 4)どちらも買わない という選択肢の中から一つを選ぶのも、ゲーム。 - 当然、これだけの話で全てが片付くなんて思っていませんが、物事の本質を理解するためには、複雑な事象の中から単純なモデルを抽出することが必要です。
2002年1月5日付朝日新聞朝刊