笑いの一つの要素
2004年4月14日のフジテレビ「トリビアの泉」という番組の、「トリビアの種」というコーナーで、笑いを研究している先生方が集まって、専門用語の飛び交う何言ってるのか分からない議論の末、ギャグを作りました。
…全然面白くありませんでした。むしろ引きました。
タモリには意外と受けていたし、マニア(不条理マンガが好きな人とか)には受けるのかもしれません。
で、その理論は、「『青年の主張』という高尚なものと、『性欲を主張する』という下世話な行為を結びつけるという『ギャップ(gap:隔たり、格差)』に、面白みが生じる」のだそうです。
さらに、エロスとタナトスがどーたらこーたら…
僕は、この理論には、大事なものが欠けている気がするので、僕の考える笑いの一つの要素を、ここに書いてみます。
まず、笑いは快感です。
快感であるということは、脳がそれを求めているということ、言い換えると、脳がその笑いを受け入れるようにできている、ということです。
では、脳は何を受け入れるようにできているのでしょうか?
笑いには、さまざまな要素がありますが、一つの重要な要素として、僕は「相似形」、つまり「共通するもの」があると考えています。
つまり、人間の脳は、「いろんなものの中から、共通する部分を見つけようとするようにできている」ということです。
例えば、「ダジャレ」は、音の共通する部分を見つけて結びつけるものです。
「ものまね」は、ある人が、全く別の人(あるいは物であったり動物であったり)と共通する部分を作ってみせることで、笑いを取ります。
先の理論では「『ギャップ』が面白みを生む」ということでしたが、ただギャップがあるだけでは、大して面白くありません。
ギャップはあるけれども、「一見無関係なもの同士が、実はつながる部分がある」時に、面白みを感じます。
ギャップが大きい方が笑いも大きいのは事実です。それは、自分では思いつかない共通項を見せられて、「うわ、それとそれを結びつけるのか!」と感じるからです。
気づかなかったことに気づかせてくれてありがとう、というわけです。
なお、脳の「共通する部分を見つけ出す」という機能は、主に「記憶の照らし合わせ」に使われるのではないかと思います。
今置かれている状況を観察して、次にどういう行動を起こすべきか、という判断を下す時に、過去の似た状況を思い出すための機能なのでしょう。
言い訳:まなかなのイラスト、がんばったのですが、ポイントがつかめませんでした。言い訳は次の通り。
- あまりいい資料がなかった。
- テレビで見た回数も、それほど多くなかった。