ササヤキ彷徨の神殿

リアル

Real
2004.06.19-2005.10.15
人を外見で判断してはいけません。

だって、見ただけで内面までは分からないから。

…本当にそうでしょうか?

油絵調に加工された、高原の写真?
© テレビ朝日

上の画像は、テレビ朝日のドラマ「電池が切れるまで」の新聞広告から取り込んだものです。

僕は、これを少し遠目に見た瞬間、「写真だ」と感じました。しかしよく見ると、絵画のようなタッチになっていました。

でも、これは恐らく、「写真を絵画調に加工したもの」だと思います(と言いつつ、実は「絵画として描かれたもの」だったりしたら話の展開に困ってしまうのですが、まあ、写真でしょう)。

では、写真と絵画、何が違うのでしょうか?

写真は、カメラにやってきた光の像を、そのまま記録したものです。

レンズによっていくらかのひずみが生じるかもしれませんが、それもあくまで、機械的な歪みです。

一方、絵画が写真と決定的に違うのは、目で見た光の像が一度人の脳で認識されて、それから手等を伝わって表現される点です。

絵画は、脳を通って認識されていく中で、何らかのゆが「解釈」と言ってもいい)が加えられています。

そうやって歪められて描かれた絵画を、それでも見た人は「リアルだ」と感じることができます。それは、見る人も同じ「人間」であることによって、見ている絵に描き手と逆の歪みを加えて、描き手が目で見た像を想像力で再現することができるからです。

つまり、写真と絵画の違いは、「人の脳での認識によって歪められているか否か」ということになり、その「リアルさ」は、「リアル」という言葉は同じでも、全くの別物と言えます。

そして…

人間は、人の顔を見る時、何らかの歪みを加えた上で認識しています。

人の顔に限らず、「目の錯覚(=自分ではありのままを見ているつもりなのに、実際と違うように見えてしまうこと)」というものがあるように、何を見る時にもいろいろ歪めているのですが、特に人の顔を見る時が顕著です。

例えば、合わせ鏡で自分の顔を見てみましょう。普通に鏡で見るのと、ただ左右が反対なだけです。

もし、ただ光の像だけを見ているのなら、左右が反対になったところで、特に大きな違いは感じないはずです。でも実際見てみると、随分と印象が変わると思います。他人からは、そのように見えてるのかもしれません。

そうやって見たものを歪めながら、人間は、外見からその人の内面を感じ取ることができます。

人の内面は何らかの形で外見に現れます。(この辺を突き詰めて考えると、「物の内と外ははっきりとは分けられない」ってなことになっていきます。)人の顔は、その人の内面が描き出した一種の絵画です。遺伝による生まれついての形は、言わば素材、絵の具やキャンバス。

そうして描き出された顔を、同じ人間だから、少なくとも潜在意識のレベルでは、外見から内面を感じ取ることができます。

そして、その感じ取った内面を加味した上で、つまり、光の像にいろいろと解釈を加えた上で、人の顔を認識しています。

単に生まれつきの美醜だけを見ているのではなく、その人が人生を懸けて築き上げた内面をも見ているのです。

人は、外見から内面が分かる — これが、冒頭の疑問に対する答えです。

ただし、そうやって人の顔を歪めて解釈しているということを、自覚することはできません。なぜなら、「我思う、故に我あり」、人間にとっては、自分の認識している世界が全てだからです。

自分では、ただ純粋に光の像だけを見ているつもりでいます。

もし、ある人が、にんじんとじゃがいもが同じ形であると認識していたならば、例え他人が何と言おうと、その人にとってにんじんとじゃがいもは同じ形なのです。

例え他人にどんなに「どこがいいの?」と言われようと、その人にとってその顔が美しく認識されているのなら、その人にとってその顔は美しい顔なのです。

外見と内面は、連続で不可分です。

人間は、パーツに切り分け、内面と外見を切り分け、それぞれに物差しを当てて尺度で測るようなものではありません

外見も内面も、長所も短所も、その人自身もその人の人間関係も、過去も現在も未来も、生きている環境も、全て明確な境界はなく連続で、全部合わせて「その人」という存在です。

だから、「内面が良ければ外見なんて関係ありません。こんなことが言える自分っていい人でしょ?」みたいな人は、僕には、肉体をパーツに切り分け、その人の属性を項目として並べ立て、それぞれ測って点数付けして人を判断しているような人と本質的に違いはないように見えます。

なお、外見から内面を正しく感じ取るためには、「直感」が必要です。

直感というのは、言葉による思考よりも遥かに多くの情報を処理できる「潜在意識」からのメッセージであり、基本的に全て「正しい」と言っていいと思います。

しかし、直感を正しく受け取るのは難しく、特に左脳ひだりのう偏重の現代人は、直感を正しく受け取れない人が多くなっています。

直感を常に正しく受け取るには、無駄な思い込みを捨て去る、いわゆる「無我の境地」に達する必要があるかもしれません。

なので、直感を正しく受け取れない人(=思い込みの激しい人)は、人を外見で判断してはいけません

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