ササヤキ彷徨の神殿

マザーコンプレックス

Mother Complex
2004.03.29-2004.07.02,2004.07.08
MOTHER…
マザーコンプレックス、日本語にすると…

コンプレックス(complex)という英単語を辞書で引くと…どうやら、「複雑なもの」とか、「複数のものが合わさったもの」というような意味があるようです。

マザーコンプレックスは、心理学の用語らしいですが、上のコンプレックスから言葉の意味を考えると、「母親がらみの何だか複雑な心理」。…何のことやら、よく分かりませんね。

要するに、母親がらみの心理をひっくるめて「マザーコンプレックス」なんて大層な名前を付けてるわけで、もったいぶってるだけの、それほど大した意味の入ってない用語だと思います(…と言い切っちゃってもいいのかな…。別にいいか。心理学者がこれを読んだりはしないだろうし)。

…まあ、用語は用語として、とりあえず、マザーコンプレックスへ至る道すじを追ってみましょう。

まず、前提として…

人間は、生まれたときは、皆甘えています。

当たり前です。

母親に甘えている赤ん坊に向かって、「なに甘えてんだ!」なんて怒る人はいません。

一人では決して生きてはいけないのだから、甘える以外に生きる手段はありません。

しかし、そんな甘えるだけの赤ん坊も、いつかは大人になり、自立します。

甘えから自立に至る過程は、次のようになります。

一方、自立できない(=依存してしまう)過程というのもあります。

つまり、甘やかされたからマザーコンプレックスを抱くのではなく、乳幼児期に甘えを満たされなかったためにマザーコンプレックスを抱くのです。

そして、世間で大きく誤解されている「マザーコンプレックスのあらわれ方」は、次の2通りになります。

一見正反対ですが、母親と適度な距離を取れない(延いては、人間関係をうまく築けないことにもつながる)という意味では、根は同じです。

さて、乳幼児期に満たされなかった甘え、いつかは満たされ、依存から脱することができるのでしょうか?

残念ながら…赤ん坊の時に満たされなかった甘えは、一生満たされることはありません。

なぜか。

赤ん坊の甘え方というのは、100%全身全霊を預け、生殺与奪権全てを相手に託して甘えます。

煮るなり焼くなり好きにしてくれ、と一体化する…自分が相手の一部になる…そんな甘え方ができるのは、自我(*1)に目覚めていない赤ん坊の間だけです。

自我に目覚め、自分は自分、相手は相手ということが分かってしまったら、もはやそんな風に100%身を預けて甘えるなんてことは不可能になります。

このように書くと、「別にそこまで甘えなくても生きていけるだろ」と思われるかもしれません。

しかし、今でこそ、生まれた赤ん坊の大半は、それなりの年齢まで生き延びることができますが、一昔前までは、生まれてすぐ死んでしまう赤ん坊が少なくありませんでした(NHK「プロジェクトX」でやってた)。

今でも、世界的に見れば、生まれてすぐ死んでしまう赤ん坊は相当な数になると思います。

つまり人類の歴史においては、生まれてすぐ死んでしまう方が普通であり、そこが生存のための最大の関門だったわけです。

だから、本能として、生まれた赤ん坊は全身全霊を傾けて甘えるようにできていて、甘え尽くせた者だけが、生き延びることができたのです。

…甘え尽くせなくても生き延びてしまう現代は、人間と言う生物にとっては想定外なのかもしれません。

というわけで、乳幼児期に一生分甘え尽くしておく必要があり、自立し損ねた人は、一生完全な自立はできない、ということになります。

…とは言え、100%の自立は無理としても、何とか「半自立」ぐらいまで達することは可能です。

要するに、「自分は生きてもいい存在だ」という自信が持てればいいわけですから、何らかの形で他者から(人間は社会性のある動物なので、特に社会から)価値を認められ、必要とされれば、何とかそれなりに生きていくことも可能でしょう。

100%は望まぬことです。無理なものを望んでも、その限界に打ちのめされるだけですから。

なくしたものは戻らない。ならば、残されたものを生かすことを考えるべき。

  1. 『自我の覚醒』を参照。
参考文献
[1]. 中山治「日本人の病理を深層分析する 〈甘え〉の精神病理」
洋泉社
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