ササヤキ彷徨の神殿

ひらめきを生む

Make Flashes
2004.10.10
[アイディアに詰まったら、歩きましょう。]
ひらめきの生まれ方、教えます。

…と書くと、からっぽシリーズの出だしみたいですが、これはからっぽシリーズではないので、ちゃんとひらめきの生まれ方を書きます。

さて皆さん、アイディアはどんな時に浮かびます?

いろいろだとは思いますが、僕の場合、一つ挙げるなら「風呂に入っている時」です。

風呂に入っているときにアイディアが浮かぶ要因として、次の二つを挙げてみます。

  1. 毎日同じ単純作業である。
  2. 体が温まって全身の血流が良くなり、脳の血流も良くなる。

なぜこれでアイディアが浮かぶのか、を書く前に、これと共通点があると思われるものを挙げます。

それは、「お寺での生活」です。

…もっとも、僕はお寺で暮らしたことはないので、飽くまで「想像」なのですが、お寺では、毎日同じように、掃き掃除や拭き掃除、読経等を行うと思います。

これらには、「毎日同じ単純作業である」ということと、「体を動かしている」ということが共通しています。

これらが、どのように「ひらめき」に繋がるかというと…

まず、単純作業は、脳の一部しか使いません。

単純作業は、最初は慣れなくていろいろ頭を使っていても、その内、脳の一部だけ使ってほとんど無意識の内にこなせるようになります。

風呂に入る時も、毎日大体同じ手順を無意識の内にこなしていると思います。

何もしていない時ならば、あれやこれやと何かしら考えるでしょうが、日課となっている単純作業をこなしている時は、意識はそれに集中しているので、いわゆる「邪念」が消えて、「脳の大半は空いている状態」になり、頭の中が研ぎ澄まされてきます。

脳の一部しか使わないで済む単純作業だから邪念が消えるわけで、だからお寺での生活は、「毎日が新しい発見!スリルと興奮に満ち溢れたアドベンチャー!」では駄目なわけです。

次に、体を動かしていると、全身の血流が良くなり、脳の血流も良くなります

よく、「お経は、ありがたみを持たせるために、何言ってるか分からない漢字の音読みで読む」と言う人がいますが、読経は、声を出すこと自体に、あの発声方法自体に意味があるのだと思います。

声を出すことは、全身運動になります。「カラオケでダイエット」なんてことが言われるのは、それだけの運動になるからです。

だから読経は、声を出すだけで体を動かすような効果が得られます。

そして、それを聞いただけの人も、読経を疑似体験するような形になり、いくらかの読経効果が得られるのではないかと思います。

また、体を動かすことで、脳の運動を司る部分が活発に活動し、「それにつられて脳の他の部分も動き出す」という可能性もあります。

これにより、単純作業で使われない空いている部分が活発に動き出し、そこで無意識の内にさまざまな思考が行われ、新たなアイディアの源になります。

以上の事をまとめると、単純作業で脳の大半が空き、運動や入浴で脳の血流が良くなり、また運動につられて脳の空いている部分が活発に動き出し、これが、ひらめきを生み出す土壌」になるのです。

もちろん、これが全てではありませんけどね。

何らかの「刺激」を受けて生まれるアイディアもあるわけで、これは飽くまで「一つの観点」です。

十分な情報を頭の中に用意した上で、そこから思考を深めて行く為に有効な方法、というところでしょうか。

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