ササヤキ彷徨の神殿

失敗は仕様

Failure is Specified
2004.11.05
Nobody is perfect. 人生に失敗はつきものです。

完全な人間などいません。人間は、失敗するようにできています

なぜ失敗するようにできているのか。

それは、生物が失敗によって新たな可能性を開いてきたからです。

例えば野球。芯を外された当たり損ねのバッティングが、いいところに転がって結果としてヒットになることもあります。

例えばサッカー。クロスを入れるつもりのミスキックが、結果として意表を突いたシュートになって、ゴールが決まることもあります。

例えばノーベル賞の田中耕一さん。ミスで試料を混ぜてしまって、もったいないからと使ってみたら、面白い現象が観察されて、そこからノーベル賞を受けることになる発見がなされたそうです。

もし、人間が失敗をしない完全な存在なら、何かをやろうとすれば、きっと毎回期待通りの結果が得られるでしょう。

その代わり、期待以上の結果が得られることもありません。

失敗があるからこそ、期待に達する結果が得られないこともある代わりに、まぐれで期待以上の結果が得られることもあるのです。

そうやって、失敗の中から期待以上の結果を得ることで、人間は新たな可能性を広げてきました。

だから、失敗は、人間に組み込まれているものなのです。

ただし、この説明は、失敗した人を慰めるのに使うのは良いのですが、失敗した言い訳には、あまり使わない方がいいでしょう。失敗したら、それなりの責任は負わないとね。

もっとも、飽くまで「それなりの責任」です。

なぜなら、失敗の責任を、全て一人に負わせることなく、皆で分かち合うことによっても、人間は、もっと広く言うなら類人猿は、可能性を広げてきたからです。

2004年1月7日付朝日新聞の「オピニオン」面に、サルや類人猿に関する投稿記事が載っていました。

ニホンザルは、上下関係を明確にすることで、余計な争いをなくしています。

しかし、より人に近い類人猿(ゴリラやチンパンジー)は、力の強いものが自制し、弱いものに譲ることで、共存しているそうです。

この類人猿の共存の仕方は、「失敗によって可能性を広げる」ためにも、必要なものだと思います。

もし、一度失敗したらもう生きていけなくなってしまうような社会であったら、オチオチ失敗もできなくて、ある一定の結果が得られる代わりに、それ以上の結果が得られることはないでしょう。

しかし、失敗しても、皆で支え合ってまたやり直せるような社会であれば、数多くの失敗の中から新たな可能性を見つけ出すこともできるでしょう。

つまり、人間というのは、不完全な人間同士が、互いの不完全さを補い合い、失敗を支え合うことによって、新たな可能性を広げて来たのだと言えます。

世の中には、自然界は弱肉強食が全てだと思い込んでいる人が多いと思いますが、類人猿、そして人間は、弱さを支え合うことによって、新たな可能性を開いてきて、これからも開いてゆくのだろうと思います。

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