社会 《 覚書彷徨の神殿

特性空間理論

the Principle of Characteristic Space
2005.09.06-2007.04.15

特性空間理論は、僕の中の鍵となる世界観です。

基本的に原理(principle)であるので、特に科学的根拠とかはありません。…別になくてもいいじゃん、って感じで、適当に読んでください。

特性空間

我々の存在している宇宙とは別に「特性空間」という空間を考えます。

特性空間は、我々の存在する宇宙とは別の空間でありながら、同時に密接に関係してもいます。言わば、裏の宇宙です。

この特性空間には、我々の宇宙におけるあらゆる存在が、その特性によって位置付けられます。

特性によって位置付けられるので、一般に似ているものほど近くに、違うものほど遠くに位置付けられます。

存在

「存在」とは何か。

ここでは、少なくとも人間が存在していると認識できるものは全て存在です。

人、動物、植物、物体、機械、建造物、原子、分子、素粒子、種、集団、民族、国家、スポーツチーム、天体、芸術作品、人が夢で見た存在、頭の中で思い描いた存在、コンピュータ上の仮想の存在…全て「存在」です。

「夢に出てきたものも存在しているのか」と思われるかもしれませんが、人がそこに存在していると多少なりとも認識した時点で、それは存在します。

ただし、夢や想像、コンピュータ上のような仮想の存在は、存在してはいるものの、一般にそれらの持っている情報量は少なくなります。

情報量

それぞれの存在は、それぞれの「情報量」を持っています。

ここでは、情報量「複雑さ」とします。視点を変えると「精神性」とも言えます。

「複雑さ」とはつまり、「一般に単細胞生物より多細胞生物の方が情報量が多い」ということです。

「精神性」とは、「思慮の浅い単純な人より、思慮深い人の方が情報量が多い」ということです。「内面の複雑さ」と言い換えることもできます。

この「情報量」は、後述する存在エネルギーの量に関わってきます。

特性

それぞれの存在にはそれぞれの「特性」があります。

特性の要素は色々あります。

例えば思想一つとっても、単に「似ているか否か」の一次元的な尺度ではなく、芸術についての価値観、好きな人、目指すべきもの、思考回路等、一つ一つの要素がそれぞれ特性になります。

そして特性空間上では、特性似ているものほど近くに位置付けられ、近くにある存在同士では何らかの情報のやり取りが為されます。

距離

特性空間上、各存在間には「距離」があります。

似ているほど近く異なるほど遠い、という距離です。

例えば「人」を単位にして考えると…

例えば、ある人とある人との間の距離を考えるとします。

当然、その人達の間には、似ているところも違うところもあります。

では、単純に各特性の距離を平均すればいいかというと、そういうものとも思えません

基本的には、似ているところのほうが重要で、異なるところはさほど大きな意味を持たない、と考えられます。

人と人との距離を単純に測れる、と考えてしまうと、無闇に複雑な話になってしまいます。

重ね合わせ

一つ一つの存在は、様々な存在の重ね合わせである、と考えてみます。

例えば「自分」という存在は、人間という存在、日本人という存在、コンピュータの類が好きであるという存在等々、無数の存在が重なり合って成り立っています。

このような重なり合っている一つ一つの要素について、距離を定義してみます。

人間同士で言えば、誰かと自分との間には、「ここは似てるな~」というところと、「ここは全然違う」というところといろいろあります。

それら全部をひっくるめて「距離はトータルでこれぐらい」とまとめてしまうのではなく、「距離の近い要素」「距離の遠い要素」、いろいろある、と考えます。

影響を及ぼしあう可能性が大きいのは、より「情報量の多い近い要素」であろう、と考えられます。

邂逅

特性空間上で近くに位置付けられる存在同士は、たとえ物理的に(空間上・時間上)遠く離れていても、通じ合う可能性があります

特性空間上で近い存在の代表は一卵性双生児ですが、一卵性双生児は、遠く離れていても同じようなことをしてたり考えてたりすることがあります。

また、同じようなことを考えている人同士、どこか似ている人同士は、特性空間上で引き合い共感し、邂逅し集団を作る可能性が高くなります

簡単に言えば、「類は友をよぶ」です。

その集団はまた新たな存在となり、さらに多くの存在を引き寄せていくでしょう。

逆に、他の誰とも共感できないような人は、孤立する可能性が高くなります。

…ま、変化の先端にいる人は、少数派であるが故になかなか共感を得られないわけで、孤立を恐れていては変化は起こせません

集合的無意識

ユングが集合的無意識とかいうものを唱えている、といったことが、たしか参考文献[1]で触れられていたと思います。

どんなものかと言うと、まあ、「人類全体で共有してる無意識」って感じだったでしょうか。人は皆自分では気付かないところで繋がっている…というわけですね。

これを特性空間理論で説明するなら、次のようになります。

前節で、「孤立を恐れていては変化は起こせない」と書きました。

最初は孤立していても、一つ一つ地道に変化を起こしていけば(理解者を増やしていけば)、それはある濃度に達した時、集合的無意識を通して爆発的に広まる可能性があります。核反応の臨界みたいなものです。

なので、たとえ手応えなくて絶望的な孤独感に襲われたとしても、何とかあきらめないようにしましょう。…言うのは簡単。

存在エネルギー

存在は、特性空間上にエネルギーをもちます。これを存在エネルギーと呼ぶことにします。

存在に対応する存在エネルギーの量は、その存在情報量によって決まります。

その存在情報量が多ければ多いほど、対応する存在エネルギーも多くなります。

この存在エネルギー、うまくすれば何らかの形で利用できるかもしれません。あるいは、人間も既に何らかの形で、日常的に存在エネルギーを利用していたりするのかもしれません。

おわりに

以上、何のことやらよく分からない話だったかと思います。

これを元ネタに、いずれ話の一つも作れたらいいな、と。

参考文献
[1]. 以前図書館で読んだ、ブルーバックスの中の一冊。タイトル等は忘れました。
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